JF3丁目

趣味のこととか、ただの自己満足記事を。

僕たちが安心して外でウ○コができるようになったのはいつからだろう

またか。

 

 

地方の寂れたしょぼい市民センターのトイレには、センサーで自動で流れるような装置はついていない。

 

急いでかけこみ、用を足そうと便器のフタをあけるとそれは、間違いなく流された痕跡もなく存在していた。

 

 

お腹の弱い僕は、出かけ先でよく便意に襲われる。

 

そのため、地元ではトイレの場所や混み具合、清潔度などはほとんど頭に叩き込んであるのだが、やはり便意というのは不意にやってくるものである。

 

 

 

 

「朝に炭酸飲料を一気飲みしたらすっと目が覚めるよ」

と、友人が教えてくれたのは中学生のころ。

 

 

炭酸飲料を一気飲みすることでその喉から食道あたりにくる刺激はものすごく、寝起きの自分を目覚めさせるには十分すぎるほどだった。

 

ただ、このお目覚め方法にはデメリットがある。

 

お腹が冷えて、すさまじい腹痛に襲われるということ。

 

 

ただでさえお腹が弱い僕が寝起きに冷たい飲み物を一気飲みするとそれはもうすごいことになる。

 

しかし、目覚めの方の効果はすさまじく、どうしても眠気がおさまらないときはこの方法を実践する。

 

 

 

そして、出先のトイレで自分の今朝の行動を呪いながら、神に懺悔する。

 

 

宗教家でもない自分が、なぜすさまじい腹痛に襲われているときのみ神に懺悔するのか。

 

それほど腹痛で苦しみ、トイレでパンツを下ろしているときの自分は無力で情けない姿なのかもしれない。なにかに頼りたくて仕方ないのかもしれない。

 

 

 

そんな切羽詰まった状況で入るトイレで、前の使用者が流していないトイレに遭遇するとそれはそれはもう凄まじい怒りとともにトイレの洗浄スイッチに八つ当たりする。

 

 

しかしなぜ、トイレを流さないのか?

 

 

心の中で唾を吐きながら流れて行ったそれに別れを告げ、便座に座った僕はすぐさま怒りを沈め、神に祈りを捧げる時間に入る。

 

 すると、ふとこんなことを考えた。

 

 

「そういえば、こうして外でウ○コができるようになったのはいつからだろう」

 

思い出した。

 

小学校のとき、トイレで大便をすることは人権を失うことと同義であった。

 

学校で大便をした者はその日から「ウンコマン」と稚拙かつストレートな名前に代えられ、囚人が番号で呼ばれるそれよりも遥かに屈辱的な仕打ちを受けることになる。

 

 

僕は地元の公立小学校に通っていたため、これがうちの学校のみのローカルな習わしなのかと思ったが、高校や大学などで出会った市外・県外の友達もまた、似たような状況にあったらしい。

 

ネットで調べてみても北は北海道、南は沖縄まで小学校のうちはこうして魔女狩りならぬ「ウンコマン狩り」が行われていたらしい。

 

 

で、あるからこそ小学校でお腹を壊したときはもう必死だった。

 

自分の付けてもらった名前を守るために、ウンコマンにならないために必死だった。

 

そもそもウンコマンとはなんなんだろう。

スーパーマン等のヒーローのような類か?

ウンコのヒーローは、一体なにからなにを守るのだろう。

 

もしかしたら、正義のヒーローと敵対するヒール的な存在なのかもしれない。

 

するとしたらその名前から、世界をただただ汚す最低の怪人でしかないことは想像に難くないだろう。

 

そんなウンコマンに僕はなりたくない。

 

それはクラスの「ウンコマンと名付ける側の人間」もまた同じだった。

 

やんちゃなガキんちょは、給食で早食いをしたがる。

早くご飯を食べることで己の力を誇示することができるのだ。

 

 

しかし、ベストタイムをたたき出すためには牛乳の一気飲みが不可欠であり、給食後の5時間目にこの行為が彼らの首を絞めることになる。

 

給食を早く食べ終えるという、その長くて2日程度の名誉を得ることととウンコマンになるリスクを天秤にかけると、小学生はどうも前者を取ってしまうらしい。

 

クラス全体、学年全体がウンコマン狩りに遭わないために必死だった。

排便とは生理現象であるというのに。

 

 

僕は何度もこの便意と闘ってきたため、便意とうまく付き合う方法をいくつも持っていた。

 

前かがみになって体を折り曲げ、お腹を温める

正座する

常にお尻に力を入れる

足を組む

 

他にもたくさんあるが、この経験は現在でも活きている。

 

 

しかし、どうしても便意が我慢できない時は、

「教職員トイレ」へと向かう。

 

 

なぜか児童が使うと怒られるトイレ。

なぜか置かれている芳香剤や洗剤がワンランク高いトイレ。

 

 

ウンコマン狩りに遭うことのない安堵とともにいつもより清潔なトイレで用を足すということは、なにものにも代えがたい「勝利」の気分を味わうことのできる時間だった。

そして、先生に会わないようにドキドキしながらこっそり出入りするそのスリルもまた、教職員トイレの魅力である。 

 

 

 

時は流れ、小学校5年生になった時に事態は急変する。

 

 

この時期になると5,6泊ほど児童で宿泊する林間学校が行われるのだ。

 

5,6泊ともなると、さすがに便秘でもない限りトイレには行きたくなるものである。

 

お泊りという環境であるがゆえに、ウンコマン狩りは行われないであろうと児童たちはなんとなく考えていたに違いないが、僕を含め児童たちはなんとなく後ろめたい気分があった。

 

しかし、お調子者のガキんちょの言動により、そうした雰囲気は急変する。

 

 

「俺、ウンコ行ってくるわ」

 

夕食後、お風呂の時間の前にとった彼の行動で、どこかみんなの緊張が少なからず解けたことは間違いない。

 

 

 

高校・大学に入るころには「ウンコマン狩り」という幼稚な行動をする人間は全くいなくなっていた。

 

林間学校を通して、みんなは幼稚な行動を卒業するようになったのかもしれない。

 

 

自然にの素晴らしさに触れる

仲間と寝食共にすることで絆を深める

排便という行為は恥ずかしくない

 

なるほど、林間学校が義務教育期間中に行われるわけだ。

 

 

 

そういえばいつから安心して外でウ○コができるようになったんだろう。

 

その時期や原因が、少しわかったような気がした。